戦争を生き抜いた世代への敬意と願い
オレが小さいころ祖母は元気だった、いまではメールも使えないし得意だった裁縫も億劫になったようだ、幸いにも日常生活はできる。
運動のために歩いているが常備薬の作用で100m歩けばバテてしまうし階段も大変そうだ、でも体の自由が効くのが最も救いだと思っている。日頃の行いが良かったのだろう。
これまで様々な病を払い乗り越えてきたけど老いは誰でも平等に来るし。第二次世界大戦を生き抜いた世代の旅も無事に終わって欲しいと切に願うばかりだ。
後悔とは蜃気楼なのか?
「あのとき、もっとこうしておけば」と思うのはニンゲンの性で、だれもが体験する事だ。
しかしそういう思いは当時の自分にはなかった選択肢で、成長した現時点の自分が過去を見つめることで確認できた蜃気楼の選択だ。
過去と現在の自己を鏡合わせに考える
ここで逆に考えてみよう、その蜃気楼の選択肢はいまも存在する。ミライからは見えるが、現在からは見えない。鏡合わせにするとよくわかるはずだ。
四次元の選択肢を掴み取るための思考とは?
「四次元の選択肢」
ミライからは見えるが、現在からは見えない。四次元の選択肢を掴み取るための思考
後悔=過去の失敗ではなく情報の未取得
あのとき「もっとこうしておけば」という後悔は当時の自分にはなかった選択肢で、成長した現時点の自分だから選べたようにみえる選択肢である。
逆に考えればその蜃気楼はいま現在もあるのだから選べるのでは?
その選択肢は再現可能なのか?
その選択肢とはどういうものだ? より良い結果であることは間違いないようだ。 その選択肢は手順がちゃんとあって実行できるものだ。
その選択肢は現在の自分が過去の結果を見つめることで判明する、これを現在の自分から再現する方法があればよいか?
仮説A
これは、過去の自分と現在の自分は同一ではないのに、時間という流れが相互であるために起きているなにかだ。パラドックスみたいだ。
1+1=2みたいな計算を1+@= のような別々の概念を1つ式に当てはめているから完全な解決でないようにみえる。
より飛翔した発想が必要だ。
仮説B
もし、この感覚が自分だけなら、他人に伝えても、その対象は言葉と意味合いを頭で掴めない間隔に陥り、言ってる言葉の単語と用語は過去の経験から補填できるが、話し手側の意図は何も理解できないはずだ。
仮説C
まず現時点で再現ができる最高の自分、パーソンAを仮定する。パーソンAをミライに置いて、現時点の自分パーソンBを観察する。パーソンAはパーソンBが選べた蜃気楼の選択肢Xを掴める。
パーソンAは可能性の塊で無限の選択肢を持つ、このままではパーソンBでは不可能な選択も選べる・・・これでは成立しない。
そこで選定基準として時間の流れを合わせる、これで「明日までにテストで100点を取れるような勉強をする」なんて狂った選択はしないだろう、ニンゲンとして全うするならホモ・エコノミクスとして最善を選び続けるかも。
知っての通り、ホモ・エコノミクスはちょいと昔のモデルだ。これだけでは不十分、よりよいミライを誰が選択するのかは、パーソンAを生み出したパーソンBなのだ。
未来の自分を設計する
仮説を踏まえてここでの結論を集めてみよう
プランA
パーソンAを作る方法はこの推理においてとても実入りある結果だ。仮説Cは効率よくミライを知る方法として有効だと思える。
これにはパーソンAをどうやって構築するかを研究しなければならない。手始めに数分先のとかなら簡単だろうか?
プランB
選択における無駄を減らせる。 仮説Bのようにミライを手軽に知った所で、それを理解するために時間と労力が必要だ、最終的な努力はイーブンになる。だが無駄は減らせるようにみえる。
プランC
意思は後悔を解き明かすヒントのようだ。 後悔とは「過去の自分が取れなかった選択肢を、成長した現在の自分が知っている状態」つまり失敗の感情ではないのだ。意思を見つめることで解明できる。
後悔とは未来への投資!
ミライは何もしなくても訪れる。よい結果は、意思、という投資が必要だ。いまもこれからも変わらない高級な意思、なぜ意思は変わってしまうのかという理解から始めよう。

