ジブンがすごーく目にしてきた言葉の一つに「可処分時間の奪い合い」がある。
おそらく、一つの円グラフ(パイ)を、複数のプレイヤーがナイフで切り分けているような、殺伐としたシェア争いを思い浮かべるはずだ。
しかし、この「パイ」という比喩が、現代のコンテンツ消費の実態を正しく表せていないと感じることがある。
もっともパイらしい時代
かつての娯楽は重厚なものだった。
映画館に行くとか美術鑑賞とか、履歴書にそっと書いても彩りがあるものだったり。
書けない場合、テレビの前で”トリビアの泉”を見るとか、腰を据えて両親が持っていた説明書のないファミコンでゲームをするだったかも。
まだパイが一口だった頃
これらはどれも「大きなパイの一切れ」を食べるようなイメージだ。
食べるのには時間がかかるし、一度にたくさんの種類は食べられない。 だからこそ、企業は「自社のパイをいかに大きく切り取らせるか」に心血を注いできた。
だが、現代人のポケットの中に、もはやそんな「一切れのパイ」はない。
増殖する「アメ玉」と「ワカメ」のロジック
今のコンテンツは、もっと小さくて、もっとバラエティに富んだ「アメ玉のアソート(詰め合わせ)」に近い。
ポケットの中の多様性
現代のパイという存在はもっと小さくなったと思っている。
すべて、アメ玉のように小さく、色鮮やかで、口にするのが簡単だ。 誰でも楽しめるようになったのは良いことだ。
「増えるワカメ」現象
重要なのは、そのサイズ感と満足度のギャップだ。
見た目は小さなアメ玉だが、一度口に含めば、それは「増えるワカメ」のように体験が膨れ上がる。
15秒の動画は数時間でもスクロールでき、一通の通知が無数にとんでくる。
第一印象は「アメ」だが、その実態はパイに勝るとも劣らないカロリー(体験価値)を秘めている。
膨らむ体験
ユーザーは、一つの大きなパイでお腹をいっぱいにするより、無数のアメ玉を隙間時間に詰め込み、その都度「膨らむ体験」を味わうことを選んでいるのかもしれない。
競争のルールが変わった
PS5のハイエンドな体験も、スマホの基本プレイ無料ゲームも、スチームのインディータイトルも。
すべてはこの「アメ玉の詰め合わせ」のなかで、等しく存在感を示している。
どれか一つを選ばせるのではない。 いかにして「ついでに口に放り込んでもらうか」という、圧倒的な手軽さと高密度の勝負。
パイからアメへ、可処分時間の新しい捉え方
可処分時間の奪い合いは「限られたパイの切り分け」ではなく、「無数のアメ(小粒コンテンツ)をどう選ばせるか」の競争に変わっていくのではないだろうか。
次のユーザーは、一瞬で消化できるサイズのコンテンツを求めていると思っている。
ジブンか?ジブンには時間がない、その話は別の機会に